沼津聖マリア幼稚園
園長 山本 喜栄
私は、毎朝正門の前で30分、園児達が登園するのを出迎えています。「○○ちゃんおはよう!○○くんおはよう!」と一人ひとりの名前を呼び声をかけること・・・それはわたしの大切にしている仕事の一つです。子ども達の名前を呼び、笑顔で迎えることで、「大好きだよ。今日も会えて嬉しい!」と言葉ではない言葉を子ども達に伝えたいからです。自分の存在は素晴らしいのだ、という実感を味わってほしいからです。笑顔を向けると必ず子ども達から笑顔が返ってきます。中には恥ずかしいのか素知らぬ顔をしたり、一緒に来たお母さんの陰に隠れてしまう子もいますが、この、言葉以上の心のやりとりは、私の好きな時間です。そして登園した子と一緒に「今日も1日良い子でありますようにお守りくださいませ。」とマリア様の像の前でお祈りをします。私が園長になるずっと前から決まっているお祈りの言葉なので、そのまま使っていますが、毎朝祈るたびに「良い子って何だろう」と考えてしまいます。 泣かない子が良い子でしょうか?良い子とは先生の話をしっかり聞く子でしょうか。友だちに意地悪したり乱暴しない子でしょうか。トイレがしっかりできる子でしょうか。それともわがままを言わず、我慢強い子が良い子なのでしょうか。しかしこれらはすべて、先生の立場から見た「手のかからない子」というだけで、はたしてそれが「良い子」なのかどうかわかりません。でも最近、「手のかかる子」が本当に多くなってきました。ですから私は、良い子とは、親や教師にたくさん手をかけさせた子ども、と考えるようにしています。多くの人の手が、その子にかけられればかけられるほど、その子は多くの愛を受けていることになり、生きていく上で、幸せの原動力になるのではないかと思うからです。 詩人の谷川俊太郎は「ぼくは究極のマザコン。こんな僕でも生きていていいんだ、と母から深く愛されることで、揺るぎない自信を心に刻み込むことができた」と言っています。年々入園する子どもも、手のかかる子が多くなり、保護者の皆様からも細かい要求が増えてきて、担任の先生がクラスを運営するのも、本当に大変になってきました。だからこそ、手のかかる子ほど、良い子なのだと考えて、担任の先生を励ましつつ、一人ひとりを可愛がっていきたいと思っています。そして朝のお祈りでは、心の中で「失敗しても叱られても、あなたは良い子。今日も自分らしい1日を過ごせますように。」と祈る毎日です。