道徳の芽生え

16.02 みなと・みやじま幼稚園 写真

みなと幼稚園・みやじま幼稚園

小関 ハツ江

 この一ヶ月は全園児と膝を交え「お作法」をし、年長児とは「面接」と「勉強ごっこ」で目を合わせた。忙しいが、私が子どもたちに伝えたいことが一杯あるので自分自身は充実していた。
 まず、座敷に座ることの少ない子どもたちに、「背骨をまっすぐに伸ばすと気持ちがすっきりするよ。」と言って、思考力がつくことを悟らせた。そして、花瓶に挿した山茶花の花が、どのようにして蕾から花が咲き散っていくのかを、それぞれの形体の山茶花を見させ、命の継承に気付かせていった。動物も植物も最後は石油になり人の役に立っていること、人間も死ぬことはあっても命の継承を繰り返していること、そして、人間だからこそ人の役に立って死んでいかなければならないことなど、年齢毎に15~25分話をした。その間、目を合わせて聞いてくれる。それもお菓子をいただく楽しみが待っているからであろうか?ようやくお茶を盆(おやつ皿)にのせ、自分の席まで“お運び”をし、隣の子に「お先に」を言い、「どうぞ」と言われて、やっとせんべいを自分の皿に入れる。手を合わせながら、全ての食物の命をいただいていることに気付かせ、「いただきます」と言う。ようやく獲得したせんべいは格別に美味しかったようだ。座敷に座って、手をついて挨拶をしてから帰るのだが、何と子どもたちは可愛いいことぞ!!両手の間にできた三角を私は褒めてあげる。また、手を合わせている中に自分の神様が居ると見させるが、その姿こそ童心そのもののように思う。
 私は子どもたちに、どう話したら理解できるだろうかと問いながら話している。道徳の芽生えが幼児期にある。いや、人格形成の基礎となる幼児期だからこそ、道徳心を大切に育てていかなければならないと考える。「自分を自分で見る」ことは、善悪の判断に繋がる。人間誰でも良い心と悪い心がある。一方の心が胸にあるならば、その自分を取り出し、自分を見させること。客観的に自分を見る力として、自分の神を手の中に入れ、手を合わせ、その神から自分を反省させるというやり方をとっているのだが…。どう道徳心を植え付けていくのかが課題である。「三つ子の魂百まで」の域に、人間として道徳の芽生えを育ててあげたい。