今日までの歩みを振り返って

日本平幼稚園より

日本平幼稚園

藤原はつゑ

 昭和20年8月15日の終戦を満州のハルピンで迎えた私は(当時19歳)は紆余曲折を経て、昭和28年5月最後の引揚船で日本に戻ってまいりました。しばらくして、三保に町立三保幼稚園の設立を機に採用が叶い、3歳児を担任させて頂くことが出来ました。しかしそれも束の間、諸事情により幼稚園は3年半ですべて解散となりました。
 その後、私の母は何か世の中のお役に立ちたい一心で幼稚園設立を思い立ちました。しかし十分な資金があってのことではなく、母の執念と人々の善意が一つとなって、34名の園児を迎え私立駒越幼稚園が誕生いたしました。そして私は昭和39年、東奔西走、単位習得に努め、ようやく幼稚園教諭の資格を取得できました。昭和45年1月には自然豊かな日本平の麓を求めて、第1回目の手付金を支払い、ほっとしたのも束の間、昭和45年6月に夫の事業の失敗から、幼稚園の存続さえ危うくなりました。
 周囲の非難と蔑みの中で、死にたいほどに情けなく悔しかった想いは今も忘れられません。どんな犠牲も惜しまず、幼稚園と園児だけは守らなければと金策に交渉にと奔走しました。当時帰省した大学1年の息子と必死で駆け回り、父母が粒粒辛苦して築いた家も土地も借家もすべて失いました。気丈な母は「身体さえ丈夫でいたら、また一からやり直せばよい。失ったものにくよくよせず、これも神様から頂いた試練と思い、今はみんなで心を一つにして幼稚園を守ることが大事だよ。」と励ましてくれました。その後、有難いことに幼稚園の土地も合板会社の建設用地に加えて頂くことが出来、日本平の麓に山を切り開き、粗末ながら鉄骨造り2階建ての園舎が出来上がり、園児164名全員が移ることが出来ました。それを機に、幼稚園を法人化して学校法人藤原学園日本平幼稚園と名称変更して、再出発することが出来ました。
 さて現代の世相は私たちが育ったころに比べると、非常に難しい時代であることはどなたも感じておられると思います。要因は様々にあると思いますが、身近に聞くニュースに人の心の荒廃を感じます。戦後の教育思想の乱れが家庭の教育にもつながり、その歪みは1年1年増しているようにさえ感じます。私達教師は、子どもたちがこれからの厳しい社会の中で、逞しく自分自身の人生を切り開いていく力と、豊かな心を持ち、日々感謝と喜びを感じながら立派な大人に成長して欲しいと願っています。どんなに時代が変わろうとも、教育の根本は変わるべくもなく、親も大人も教師も一人一人の人間性と教育愛を高める以外に道はないものと信じています。「三つ子の魂百まで」、幼子の教育こそ人間形成の基です。
 92歳を間近にして、教育に対する想いは若い人にも負けないつもりです。これからもみんなで力を合わせ、日々精進・工夫を惜しまず、楽しい幼稚園づくりに努めて参りたいと思っております。