清水という風土に育まれてきたもの

凧

有度幼稚園

垣本範子

 「清水」と聞いて、思い浮かぶのは、お茶とみかん、ちびまる子ちゃん、しみず港まつり、清水の次郎長といったところでしょうか。
 私の育った清水の町は、少々の荒っぽさも兼ね備えた、でも人情味あふれる港町です。
 その昔清水の次郎長さんが1868年戊辰戦争のさなかに、清水港に入港し戦いの中で犠牲になった咸臨丸の乗組員のご遺体を、新政府軍のおふれに反し埋葬し弔ったという話は有名です。それから約150年、清水の町にその頃の面影はありませんが、今でも清水の人の心の中には「やらざあ」の精神が脈々と受け継がれているような気がしているのです。
 例えば、私の幼稚園がある有度地区も自治会の活動が盛んです。それに巻き込まれるかのように若いお父さんお母さんが協力し、幅広い年齢層の方が活躍しています。近隣の小学校の運動会も、先生方と一体になってとても温かい雰囲気の運動会だなと感じる一つです。
 清水の私立幼稚園協会の子育てフェアは、「駿河凧作り」です。清水区の「凧の会」の皆さんと昔ながらの駿河凧を作ります。80歳近い高齢の方もいらっしゃいますが、皆さんが「子ども達の喜ぶ顔がみたいんだ」と1年に1度この日のために準備をしてくれるのです。凧の会の方が1本1本小刀で手作りしてくれた竹ひごに、親子で思い思いの絵を描いた和紙を張り付けていくのですが、糊付け・糸貼りと苦労して完成した時はとても嬉しそうです。後日、三保の海岸で行う凧揚げ大会には、更にたくさんの親子が参加し、盛大に凧も上がってそれは壮観な眺めです。この日も「凧の会」の皆さんが来てくれ、凧病院の看板のもと駿河凧のみならず洋凧も丁寧に直してくださるのです。
 お金を出せば何でも手に入る時代、古くなればすぐに捨てて新しいものを買う時代に、親子で大切に作った凧はきっと長く大事にされるはずです。とてもすてきな子育てフェアです。
 子どもは地域のみんなで育てるという思いは、困った人を見ると助けずにはいられない「やらざあ」の精神が受け継がれている限り、守られていくのではないかと思うのです。私も微力ながらお役に立てる人材でありたいです。そして、子どもを取り巻く事件事故が多い今日この頃ですが、子ども達の未来は決して暗くないと信じて前を向いて頑張っていこうと思っています。