今日までの大雄学園を振り返って

今日までの大雄学園を振り返って

青島こども園
伊藤正見

 大雄学園の前身、青島幼稚園の設立から今年で満99年になります。私は曹洞宗大本山永平寺の2年間の修行を終わり、26歳で園に関わり29歳で園長を受け継いで現在71歳、45年間学園運営に携わりましたが、私の祖父であり初代園長の曹洞宗宗乗寺先々代29世伊藤哲遠(開園式写真前列左より3人目)は寺周辺や藤枝駅前地域の人々の懇請により、当初は農繁期の季節託児所として6月田植え期と10月収穫期に子供達を預かり運営していました。  その後大正10年青木のモズ(蚕(かいこ)の繭(まゆ)を育てる藁(わら)床(どこ))工場を借りて職員2名園児70名で青島幼稚園を設立、当時は駅前本通りには本町に通う馬車が走り、人力車全盛の時代、家庭にはようやく電気が普及したばかりの時代で、通ってくる子どもの家庭もどちらかといえば裕福な家庭の子どもが多かったとのことでした。  大正13年富士見町へ移転し本格的木造園舎を立て職員4名園児80名で運営。戦時中は休園の園舎を陸軍の通信隊に貸与し、戦後すぐ保育園としてスタート。爾来幣師伊藤正之2代目園長が昭和46年駅前区画整理事業により400m東の宗乗寺北側隣接地に学校法人大雄学園を設立して移転、当時は職員8名園児150名程でした。その後藤枝駅周辺では子どもの数が少しずつ増え、平成9年よりこの地域では白眼視されていた「預かり保育」を開設、同11年3代目伊藤正見現園長が教職員20名園児231名程で現在地へ全面移転しました。  また2年間民営化移譲先を模索していた藤枝市立ふじの花保育園を平成20年に職員30名園児140名の移譲を受け、保育所運営のノウハウを会得しました。これにより平成23年青島幼稚園を幼保連携型認定こども園「青島こども園」として開園しました。当時は県内で初めての学校法人としての幼保連携型認定こども園で藤枝市の強力な支援により手探りしながらのスタートでした。  一方、志太幼稚園は昭和56年に開設以来39年間にわたり志太3丁目で地域の皆様に支えられてきましたが、令和2年4月志太2丁目地内1650坪の土地に幼保連携型認定こども園「志太こども園」として新しく園舎を移転新築し職員30名園児176名でスタートいたしました。  移転の理由は、県土砂災害警戒区域に指定されたこと、園舎が40年近く経ち設備老朽が目立ち建て替えの際、開発行為の許可が困難なこと、国が法律を整え「こども園」設立を奨励していることなどがあげられます。平成28年6月より移転新築の検討を開始し、約4年後この度ようやく開園にこぎつけました。  現在の大雄学園は3施設教職員120名園児597名の規模となりました。  今、「青島こども園」では、この地域で在園の子の曽祖父が大正年間に本園に入園した方が何人かいます。仏様に見守られ育っていった子ども達、教職員が今、地域を支えてくれその子どもが孫がまた3園で育っています。「国造りは人づくり」「三つ子の魂百まで」といいますが、振り返って思うことは就学前の施設では子ども達そして携わる教職員共々いつもお互い謙虚に『こころ』を育て合いながら、かつ健やかに成長してゆくことを切に願い、長期に亘って安定的に穏やかな園運営を目指すことこそが地域への恩返しに繋がると確信しています。拙文を読了いただきありがとうございました。頓首

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